皆さん、こんにちは。今日も蒸し暑いですね。

昨日、というか今朝のジャパンの戦いは最高でしたね。

一旦寝床に入ったものの、目が冴えてしまいテレビの前へ・・。

最後まで見てしまいました。

勝因は何といってもチーム全員のひたむきさではなかろうかと

思いました。それも皆が自信を持って、そしてひたむきにプレーを

した結果だったと思います。本戦に入ってからはそれまでの悪評が

うそのようにはつらつとプレーしいます。そして本田くんの活躍が

チームメート全員の気持ちを確信に変えましたよね。デンマークの

選手は、このジャパンの変貌に驚き、自分たちのサッカーが出来なく

なっていました。

いや~、本田くんと遠藤くんのフリーキックには感動しました。解説していた

北沢くんと城くんもテレビで「あ、入った・・。」と驚きのコメント(笑)。

次はパラグアイとの戦いですね。決勝トーナメントに入ったら相手は

皆強いから、何処と対戦しても同じです。この勢いの中、是非頑張って

欲しいですね。下の写真は左は本田くんのフリーキック、右が勝利を

決めたあとフィールドに集まるジャパンです。テレビから撮ったものですが

当局から指導をうけなくていいように内緒で(笑)、くれぐれもご内密に・・!

   皆さん、こんにちは。少々疲れ気味の安田です。

サッカーのワールドカップを見ていたりと寝不足が祟ってるんでしょうか。

ただ単に歳をとった・・・、だけのことでしょうか・・。

 

 

   京都ホテルの墨染寮は、5階建で3階より上、各フロアーに8部屋

があり、各部屋は2人部屋でした。それから各フロアーには共用のトイレ

とシャワー設備(風呂はありません)、小さなキッチンがありました。

私は先日書いたように、人事の村上さんと一緒で501号室。5階の一番

奥の部屋。寮生活は快適でしたよ。門限以外は・・・・。同期にも

気の知れた奴らが多かったので・・。その中でおもろい奴が一人・・。

福岡出身の山下くん。彼はヤンキーあがりだった(ホテルの従業員

には元ヤンキーとか人に頭を下げるのがいやな奴など多かったですよ)

のですが、風貌からホテルマンらしくないので、都合3年間のホテル

マン時代に本社では働くことが出来ませんでした(爆)。

髙島屋に京都ホテルから出店してた(今はもうありません)ローズルーム。

ここが彼の働き場所でしたよ。本人は喜んでましたが(笑)・・。

車が好きで、私が休みの日を聞いてきては暴走しに行こうとしつこい

しつこい(笑)。彼のおかげでタイヤを変えるのが早くなりました(笑)。

でも根はいい奴だったので同期からも好かれてましたよ。

あいつ、今は九州で元気にしてるんやろか?同期のみよちゃんと

結婚して九州で頑張ってると聞いてますが・・・。

下の写真は山下くん、寮の部屋でのスナップです。眉毛を見てやって

ください。これじゃあ、本社では働けないですよね~(笑)。

 そして下の写真がローズルームです。

236月

   皆さん、こんにちは。今日は定休日ですが、有難いことにご予約を

いただき営業しています。世間の調査では、景気が上向いているとの

報道ですが、飲食業はまだまだ厳しさが続いていますので、ご予約を

いだだけるということは、ほんとに感謝しなければなりません。皆様、

どうも有難うございます。

     京都ホテル・入社時には同期が60名ほどいました。大卒が10名ほど、

短大、専修学校卒が10名ほど、そして高卒が40名ほど・・、右肩上がりの

売り上げを維持していた時代ですので、毎年このくらいの新入社員を雇用して

いた、いい時代ですよね。今では考えられません。ホテルでも新入生を育てて

戦力にする考え方が普通でした。

 

    3月20日過ぎに入社式をすませ、集合教育を1週間(ホテルの部長

クラスが先生になり各セクションごとに基本を教え込みます)ほど、

そして以降は3カ月間で四つのセクションを廻り、研修して、その後7月1日付け

で配属が決まります。私の場合はホテルオークラレストランからの紹介という

こともあり、レストランで働くのは決まっていたようですよ。当時の人事で

働いていた村上さんが寮で同室だったので、シークレットということで教えて

くれました。で、最初の研修場所は宴会部。ここは個性派の集団でしたね。

今でも当店にお越しいただいている梅原課長(当時)、松本係長(当時)など、

いろいろ教えていただきました。今ではこんなことは出来ない時代ですが、

当時は最終宴会が終わると、ブッフェの料理(手付かずの残り物)を食べながら、

酒を飲むことが暗黙の了解・・、そんな時代でしたよ。酒を飲みながら反省会を

していました。私の場合はホテルオークラレストランで鍛えられていたので

研修中から即戦力として面割の中に名前を入れられていましたよ。通常は

先輩社員について(お供といいました)一緒に動くのですがね。宴会では

係長、主任が一つの宴会を任されて、その担当者の下にはだいたいの

メンバーが固定されていたように思います。今思うと、相性で組み合わせて

いたような気がしますが・・・。

 

その次はレストラン。当時の看板レストラン「グリル・ジョイ」で研修することに

なりました。ここは後に配属されるレストランです。初日は8時出勤して

(通常は9時でした)、先輩社員を待っていました。厨房の方々は8時に

出勤するのですが、私が出てきたのを見て、「お前、早過ぎるやないか!やること

も分からへんやろ!」と嫌味を言われました(怒)。普通、レストラン内の掃除は

翌日にやるものと理解していたので、クリーナーを探して掃除し始めました。

するとそれも気に入らないのか、「勝手にしたらあかんやないか!」と言い

ました。私が無視し続けていたのでよっぽど腹が立ってたんでしょうね(笑)。

この人には、配属されてからの1ヵ月間、かなりいじめられましたよ(笑)。でも

この間だけですが・・。それにしてもほんとに自信過剰な生意気なぼうずだった

と思います。ただ名古屋でそれだけの仕事をしてきたという自負が、また

オークラレストランの柴田マネージャーから認められたということが、

何よりの自信というか、客観的にみても許されると思っていました。これが

若いということなんでしょうがね。当時は早く仕事を覚えて先輩社員を

追い抜くんだと意気込んでましたので・・・。ここで出会った先輩ウエイターの

志賀さんには色々と教わりましたね。彼は東京ヒルトンホテル出身でした。

私より10歳ほど年上で、フライングする私を制御してくれてました。それにしても

このグリルのコックさんは個性派揃いでしたよ。詳しくは後日書きますね。

 

続いてルームサービス(朝はベットメイキングや掃除)をやりました。言っちゃぁ

悪いですが、ここは気楽でしたよ。(こんなことを言ったら怒られるかな)

各フロアごとにキャプテンがいて部下を管理していました。ルームサービスの

注文がない時にはやることはなし・・、贅沢な従業員の配置だったと思います。

そして最後がベルボーイ。お客様のチェックインに荷物を運んだりする仕事です。

ここで大変だったのは外国人の団体がチェックイン、チェックアウトする時の

荷物です。荷物専用で運んでくるトラックからたくさんの大きな荷物をフロント前の

ロビーまで運び、お泊りになる部屋表を見ながら仕分けして、そしてその部屋まで

運ぶ・・、こんな作業ですが、お泊りになる部屋に本人以外の荷物を入れたり

したらえらいことになります。念には念を入れ作業してました。

 

こうして3カ月の研修期間を終えてレストランに配属されることとなりました。

下の写真はベルボーイ時代のものです。宴会、レストラン、ルームサービスでの

写真が残っていなかったのでこの写真を載せることにしました。

左の写真は一緒に映っているのが当時の私の恋人(ん~な、あほな)の名物

キャッシャーだった山田万子さん、この方はブラジル日系二世で英語が堪能

でしたよ。そして真ん中がフロント課長の村尾さん、村尾さんは峰山の出身

だったとちごたかな。それから右のもう一枚はおまけ・・・(笑)。                 

 

皆さん、こんにちは。昨日は多くのお客様にお越しいただきました。チーフの

慎ちゃんも大汗をかきながらフル回転・・。感謝申し上げます!

 

京都ホテル(現京都ホテルオークラ)には昭和55年に入社しました。入社の際には

ホテルオークラレストラン名古屋の木下支配人にお世話いただいてます。

入社後は墨染にあった寮に入ってました。駐車場は3000円という安さ。快適な?

寮生活でしたよ。ただ門限が23時だったので、この時間を越えると入り口の鍵が

閉まってしまい、これには往生しました。酒を飲みに出ると当然帰ってくるのは

午前様。どうして部屋に入ろうかと考えて、いろいろやりましたよ。

まずは失敗談から・・、表通りから電気のついている部屋に石をあてて気づいて

もらい、入り口の鍵を開けさせようと・・。でも先輩の部屋はまずいから、

同期か、中途入社の後輩の部屋を探して・・、するとひとつ・・、あった!

そこは厨房の渡辺くんの部屋。私達三人は(あと同期の高橋くん、笠谷くん)

投げる石を探し、小さな石を探しては3階のその部屋に投げました。が、小さな石

ではなかなか届きません・・、でアホな私は、少し大きめの石を投げると見事に

窓にあたり(その間、この二人は「あ~!」と)、窓ガラスが「ガシャ~ン」と割れて

しまったんですよ。二人から「そりゃ、あんな石を投げたらあきませんやん!」と

小言を言われ・・・、三人で東の方向にダッシュで逃げました。

一時してからもう一度寮に戻り、さてどうして部屋にはいろうかと思案して

裏の駐車場の方へ廻ると、屋上から下までつながってる雨樋を見つけ、その

横には小さな窓が・・。しかし開いている窓は5階・・。酒を飲んで酔ってるってのは

怖いものですね・・。高所恐怖症の私が上まで登ると立候補してしまったんですよ。

雨樋をつたわり4階まで登ったところで、アホな私は下を見てしまい現実に戻って

・・・、立ち往生・・、困った・・、下には怖くて降りられないし・・、二人はどうしたん

ですか?と聞いてくるし・・、生まれて初めて人生の選択を迫られました。・・そんな

たいそうなことかいな?と突っ込みを入れられそうですが・・。結局先に進むしか

なく5階まで上がり勇気を振り絞って小さな窓から入り事無き得ず・・。すっかり

疲れてしまったその晩は、部屋に入りすぐに寝てしまいました。後日先輩から

同じことをして落下した従業員がいたこと、そして骨折してしまったこを聞いて、

もう一生こんなことはしまいと心に誓った私でした・・。

で、さっきの渡辺くんの部屋(窓ガラスを割った)はどうなったかと思われてると

お想いでしょうが・・、翌日彼に聞くと、「どっかの怖い人がいたずらで・・。」と

涙目になってたので、謝っておきました・・。ひび割れて穴のあいたその窓は

ガムテープで応急処置がしてありましたが、数日後取り替えられて貰ったよう

です。それにしてもその代金を、寮監からもホテルの総務(この部署の管轄)から

も請求されなかったけど、渡辺くんは何て言って取り替えて貰ったんだろう・・?

下の写真はアホの三人組です。左から私、一人おいて笠谷くん、高橋くん。

ちなみにこの高橋くん、高校時代には応援団長をしていたらしいのですが、

信じられないことに、愛媛は高校野球の古豪・新居浜商の出身で

三年生の時には甲子園に出場して、アルプススタンドで勇姿を見せて

いました。当時私ら仲間全員で「お前、またうそばっかし言うて!」と突っ込みを

いれてましたが、彼は「熱闘甲子園」という雑誌を見せて胸を張っていました。

「いや~、ほんまや!カッコええがな!」と皆で・・・・。

 

      ♪ 踊ろぉよ~♪、摩天楼のぉお~♪♪、しつこいですか?失礼しました!

皆さん、こんにちは。日中は蒸し暑く、夜は涼しく、50歳を越えた私には

体調維持が・・・、風邪が・・・、身体が弱いんです。頭もって?メイビー~!

 

     私が野球部を辞めた理由・・、それは・・、それは・・、監督(松本さん)に

理不尽なノックを受けて、小さくカチンときたことでした。セカンドでノックを受けて

いた時のこと(連続30本ノックだったかな)、20本を越えたあたりから二塁ベース

よりショート側、しかもかなりのショート側(完全なショートの守備範囲です)に

立て続けに何本もノックをしてきました。三本までは捕りに行きましたが、

次からは追うことをやめてしまいました。心の中で「何処に打っとんなります

か~?打ったもんが捕りぃ行けぇな!」と叫びながら・・・。しかし監督は

怒ってらして、それを見た私は「もう、えりゃ~、吐きそうになった!」と

勝手にバックネット裏の木陰で横になってました。で、また怒られたんで、

「ほんなら辞めるわいや!試合で飛んでくるとこに打ってくれんと練習に

ならんど!」と言い残して帰ってしまいました。当時は根性という言葉が

ポピュラーでしたが、それとこれとは別・・、あんな球を捕りに行く理由が

分からないから・・、連続のノックで・・、真夏の炎天下の中・・、よく倒れなかった

と思いましたよ。練習中は水を飲んではいけないという迷信の元でやって

ましたので、脱水症状寸前で熱射病寸前だったと思います。

 

     話は変わり、当時はバックネットを背に二ヵ所バッティングをする

のが常だったのですが、ある日のこと、バッティングを開始した同級生の

松田くんが頭にボールを受け、ヘルメットにあたった時の鈍い音と共に倒れそうな

ふりをしていました(笑)。この練習(二ヵ所バッティング)の時には、交代しながら

野手がピッチャーを務めていたので、たいして速いボールではなかったのにですよ、

ボールがあたった松田くんはゲージから出て、下に座り込み・・、目は虚ろ・・、

両方の鼻から薄っすらと血の混じった鼻水を出し、ボーっと・・。私はこの時に

思いましたよ。えっ、何かって?それはですね、こんな危ないスポーツは

やってられないと・・、こう思ったんですよ。心の中で「一身上の都合により

退部させていただきます」と叫びながら・・。

 

先日久々に会った山崎正則くん、彼は入部した時から監督に可愛がられて

いました。「そぎゃ~なことあるかいや!」と反論してましたが・・。夏の大会前

の練習試合から代打で使って貰っていましたしね。1年生では彼一人でした。

それにしても彼は高校時代からちっとも変わってなくて、めっちゃ面白かった。

お茶目なやま(山崎くん)ですよ。あっ、そういえば、彼は3年の夏の大会で

「2番、セカンド、山崎くん」とアナウンスして貰ってたようですが、面白いことに、

くくっ・・・、彼のメルアドは「2番、セカンド、山崎」なんですよ。これを知った時には

大爆笑でした・・。そんな洒落た男です。

今年の夏の大会から一緒にわかさスタジアムに観戦に行こうと指きり・・・。

それを嫁に話すと「あんたらは幸せやな~!」と・・・。そうですよ~だ!

幸せな同級生二人です。

下の写真は左が現在の山崎くん、右は高2の夏の大会時のもので、彼は左端です。

 

 

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