318月

   皆さん、こんにちは。夜はともかくとしてやはり日中は暑い。体調にはお気を

つけ下さいね。そういう私は肝臓を労わらないとだめです(笑)。ほんとにだめです!

と自分に言い聞かせています(笑)。   

   

   京都ホテル時代には色々と研修に行かせて下さいました。また多くの試験

もチャレンジさせていだだきましたよ。個人的にも試験を受けたりしていました。

テーブルマナー講師の試験、ソムリエ試験などなど。で、今回は昭和61年に

初めて行われたH・R.S(ホテル・レストラン・サーヴィス技能協会)の試験・・・。

  

   

   この年から初めての試みとして、ホテルオークラなどが中心となり、

この協会を作り、試験が行われました。一次試験が筆記、二次試験が実務

でした。受験資格は1級は高卒で実務10年、専門、短大卒で8年、大卒が6年くらい

だったと記憶しています。そして2級が高卒で実務8年、専門、短大卒で6年、大卒

が4年、それから3級が高卒で実務4年、専門、短大卒で2年、大卒が受験資格有り

だったと思います。私は入社6年目くらいでしたので2級の受験資格がありました。

  (受験資格の勤続年数は若干のずれがあるかもです。なにせ25,6年前の

   話なで・・・。すみません・・・。)

  

    この時はからすま京都ホテルで勤務していたのですが、先日ご紹介しました梅原

部長(当時)が営業会議の(レストランマネージャー、シェフが出席の会議です)席上で

「こんな試験があるようだが、受けてみようと思う奴はおんのか?会社から

行かせてやるで(交通費、宿泊代、受験料などが会社持ち)。落ちたら自腹やけど

な。」という有難い提案をして下さいました。私は2級を受けようと速攻で手を上げ、

「あれ?俺一人やないかいな!」と・・・。

その時私は他の皆が手を上げないので不思議でたまりませんでした。あ、たぶん

梅原さんの「落ちたら自腹」の一言で・・・、たぶん・・・、そうです。それから初めての

試験だった為に教科書もないし、他の皆も合格する自信が無かったのかも知れま

せんね。私はいつも後先考えないで行動してしまうせっかち人間でしたので、

難しいことなどまったく考えないで手を上げたのでしょう。

 

   私は、テーブルマナー講師認定試験の問題集を再度解いてみたり、

それからノートに書き残しておいたもの、調理方法、各ソースの作り方など、

またワインなどの資料を勉強し直して、試験に臨みました。

この時はよく勉強していましたよ、酒を飲みながら・・・(笑)。

あっ、この試験にはもう一人3級に弓削くんがチャレンジすることになりましたよ。

彼もやる気満々でしたね。私と一緒で「やる気」だけは・・・(笑)。

               そして

   二人して、「いざ、鎌倉へ!」・・、「いや、東京へ!」

                                 明日へと続く・・・。

   (参)下の写真は日本ソムリエ協会のものです。

308月

   皆さん、こんにちは。昨日はさすがに二日酔いでした(笑)。飲み過ぎです。

飲んでいる時には明日のことを考えていない(笑)。学習能力のない私です・・・。

きっと一生直りません(断言)!

 

 

   秋季大会一次戦・・、網野高校は初戦の綾部高校に延長10回サヨナラで

勝ちました。これで波に乗ると思っていたのですが、二回戦の宮津高校に

まさかのコールド負け・・。5回表を終わった時点では6対6の同点でしたが、

その裏に大事なところでエラーが出て一挙4点をとられてしまい、その後も

・・・・、13対6でのコールド負けです。敗者復活戦にまわりますが、なんとか

頑張って欲しいものです。

 

   そして峰山高校は二回戦も勝ちゾーン決勝に駒を進めました。部員数は

少ないのですが、自力があるのでしょうか。こちらもすんなりと二次戦に進出して

欲しいですね。

 

   次は来週の土、日に試合があるので、楽しみにチェックしたい思います。

と、書いていたら嫁が「また野球か」・・・と、鋭い突っ込みが入りました(爆)。

 

   

298月

祇園「あつ子」様

Author: taizar

    皆さん、こんにちは。昨日は大変お世話になっている祇園のお店「あつ子」さん

へ行ってきました。昨日が最後の営業ということで・・・。

 

   あつ子ママは私にとって祇園の母という存在でした。知り合って20年以上に

なりますが、いろいろとお世話いただいていました。

   ママはクラブ「あつ子」を皮切りに、サパークラブ、割烹など手広く営業されて

いました。ママの甥っ子さんがからすま京都ホテルで(当時私が働いていた)結婚式

をされ、そこでほんの少しお手伝いをした縁で、それ以来可愛がって下さってます。

 

   クラブ「あつ子」を20数年、そして現在のラウンジ「あつ子」を8年ほど営業

され昨日閉店されるとのことでした。もう少し続けたいとの希望をお持ちでしたが、

娘さん(結婚され富山にお住まいです)が、「もうそろそろ祇園のママから私のママ

になって!」という言葉で引退を決意されたようです。娘さんは私より少し下の

年齢ですが、幼少の頃から忙しくされてるママですから、もうそろそろゆっくりと

して欲しいと思われたのでしょうね。

 

   あつ子ママからは多くの学びがありました。私が独立して当店を開店する時

にも営業、経営者としての心構えなどを教えていただき、また開店してからも

多くのお客様をご紹介いだだきました。また祇園のあちこちのお店に連れて行って

貰ったりして(ママは「あんたらの商売は顔を売ることも必要やで」と言われて)いま

した。

   それにしても、あつ子ママの顧客はすごい方々ばかりですよ。具体的に

お名前は伏せておきますが・・・。京都の政財界、歌舞伎俳優など著名人・・。

また私にとって貴重な方々(笑)、京都府高野連の幹部の方々や社会人野球の

日本新薬野球部の方々も常客でした。私がお邪魔した時にいらしたらご紹介くださり

一緒に飲んでいろんな情報を教えていただきました(笑)。

 

   「あつ子ママ、本当にお疲れ様でした。寂しくなりますが、ちとゆっくりなさって

下さい。そしてまた京都へ来られましたら元気なお顔を見せにお立ち寄り下さいね。

どうもお世話になりました・・、有難うございました!」

288月

丹後の歴史①

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。一昨日いらした間人の先輩・とっさん(中江敏夫さん)と

同級生の幸市(清水幸市くん)。二人の会話も面白かったけど・・・、峰山高校に

いた幸市が網野高校のとっさんに学ラン(短ラン)を借りて修学旅行に行きました。

この話にはオチが・・(笑)。とっさんは「おぅおぅ、あの学ランはようけ活躍しとったど。

久美浜のぼうずも借りに来とった!」と笑いながらお話されていました。とっさんは

たぶん福知山商(現在の福知山成美)から北・・、中丹から北丹まで制覇して

いたに違いありません(笑)。でも、皆さん・・・、この話はシークレットですよ。

今は真面目に?なられてますので、本人はいい顔されません(笑)。うそです(笑)。

というわけで?、今日は丹後の歴史を・・・、間人からスタートします。

 

 

   間人の地名・・・、由来は聖徳太子の生母「間人(はしひと)皇后」からと

伝えられています。奈良は大和の国で用明天皇のお后でいらした間人皇后は

都で起こる政権争いを逃れて由良川146キロを下り、この地を訪れ滞在したと

伝えられています。そして道教「荘子」の思想を理想とする争いのない「理想郷」

を築こうとしたとも伝えられ、間人皇后は村人たちに慕われたといいます。

 

   後に間人皇后がこの地を出て都に戻る時に「この地を間人と名乗ってよい」と

言われたのですが、村人たちは恐れ多いので・・・、皇后様が御退座されることに

敬意を表して間人(たいざ)と呼ばれるようになったと言われています。

 

   間人皇后が丹後に来た際にお供をした人物、穂見中江麿、東漢直駒、木目見

宿禰、蒲田麿興世、小坂部民谷、下戸部大連、中臣村主忠世、子孫たちが

現在「中江、東、相見、蒲田、小谷、谷、下戸、中村」の各姓で丹後に残って

います。そういえば、間人、竹野にはこの姓が多いですよ。このあたりでは

由緒正しい苗字ということですね・・。安田はありません。私のおじいさん(父方)

が「安田家は明智光秀の一の子分?と自慢していたそうなので、1500年後半に

こちらに来たようです。ちょうどこの頃は戦国時代ですが、竹野(間人の隣村)には

城跡があり、ここの石垣は安土桃山城の石垣と同じ造りだったそうですよ。

あっ、この石垣は今も残っています。確か竹野小学校の近くだったような・・・。

 

   丹後の歴史はこんな昔からあるので、少しずつご披露できればと

思っています。それから間人皇后がご対座される時に賜った歌があるのですが、

それは「大浜の里にむかしをとどめてし、間人(はしうど)村と世々につたへん」です。

   尚、間人皇后がこの地に滞在された間の館は、「御所の坪」と言われ、東山

公園の辺りではなかったかと言われています。この東山公園は私の実家がある

岡成地区の山中にあるのですが、幼少のころはよく遊びに行ってた所です。ここへ

遊びに行く時には、私の母君は「暗なるまでに帰って来んと隠し神さんに隠される

ど!」と私ら子供たちを脅していました(笑)。

下の写真は間人皇后と聖徳大使(間人の立岩近くにあります)の石像です。

278月

懺悔・シーン1

Author: taizar

    皆さん、こんにちは。日中は暑いですが、夜になると大分涼しくなって

きましたね。日が沈むのも少し早くなってきたような・・・。

   今日は私の懺悔を公開・・・、しようかと・・・。たくさんの方々に迷惑を

かけている私です(笑)。

 

              で、今回記念すべき?、

   名誉ある?第一号となったうまじ(松本康宏くん)くん。彼には大変迷惑を

かけてしまった・・・・(笑)。

 

   保育園から小学校、中学校、高校と一緒に(間人の同級生はほとんど

そうですが)過ごしていたうまじくん。彼に迷惑をかけた事件とは・・・。

 

   彼は滋賀県で就職して頑張ってましたが、今年から間人に住んでいます。

先日の盆野球で32年ぶりに再会しました。私は彼に対して謝らなければならない

ことがありましたので、「うまじ、おみゃーわしにかたって(相手にしてとかしゃべって

くれるという意味です)くれるだか?」と聞くと、「なんだ?」とうまじくん。

          その訳とは・・・、

確か20歳になる年の夏だったと記憶しているのですが、間人から京都へ車で

一緒に帰ることになり(私と彼の車2台で)、間人を出発しました。うまじくんの

車の助手席には同級生の女性、私の車にはプー(東好明くん)が乗り出発・・。

うまじくんの車が前で私が後ろというシチュエーションです。冗談の好きな?私

は皆にうけることばかり考えながら運転していました。信号で止まるうちに

「そうだ、わしの車でうまじの車を押しちゃったら面白れぇ」と考えた私は

野田川の府道で信号待ちをしているうまじくんの車に、そ~っと近づいて・・・、

バンパーすれすれにピタっとくっつけて・・・、それからそ~っとアクセルを踏み、うまじ

くんの車を押してあげました。すると車から降りてきた彼は後ろのバンパーを見て、

傷の有無を確認すると(傷は無かった模様)、「おみゃーは何するだいや。わしゃ、

もう二度とおみゃーとは一緒帰らへん(車で)!」とめちゃめちゃ怒っていました。

私は一応(笑)謝っておいたのですが、彼の怒り方は尋常ではなく・・・。私は

「反省・・・・。」心の底から・・・(笑)。その時には車に傷もついてないし、どうして

そんなに怒るのかと不思議でした(笑)が、そりゃそうですね。誰でも怒ります(笑)。

   

   それから32年の年月がたち、先日改めて謝っておきました(笑)。

そしてうまじくんは「おみゃー、あれは借りた車だったぁで!」と怒った理由を

言っていました。で、仲直り・・・。その場にいた他の同級生は私の行動に

あきれていました・・・。そしてある奴が「まろじ(私のこと)だったらしかねん!」と

フォロー??してくれていました(爆)。改めて「うまじ、すまん!」

下の写真がうまじ(松本康宏くん)くんです。

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