309月

本日の丹後人

Author: taizar
2010年9月30日

   本日は丹後町宇川・中浜のご出身・S様、ご来店誠に

有難うございます。また中原様、今夜も恐れ入ります。そして初めてお越しいた

だいた糸井様、山田様、ご満足いただけましたでしょうか?

皆様、またのご利用を心よりお待ちしております!

309月

丹後の歴史⑬

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。プロ野球セ・リーグが最後の戦いを・・・。中日が一歩

リードしていますが、阪神の追い上げがどこまで続くか・・・。巨人は昨日の負けで

優勝の望みが絶たれました。

               では、今日も丹後の歴史について・・・、

              今回は丹後の山奥・・、碇高原・・・。

 

             丹後町碇(いかり)にある碇高原。

   かつては碇千軒といわれ、狩をする人を中心に多くの家があったと伝えられて

います。昭和38年(1964)の豪雪と高度経済成長政策の波を受け集団離村に

なりました。現在は、400メートルの高原に88haの大牧場が開け、農場研究所、

牛の資料館、小動物とのふれあい牧場やステーキハウス、テニスコート、キャンプ場、

コテージ村、展望台、野外ステージ、遊歩道などが盛りたくさんに整備され、牧歌的

な風景とふれあいスポットとして注目を集めています。

 

   「碇」の地名にはいくつかの説があります。過去に猪狩りが行われ、その

名残りから、「いのしいかり」、「いのかり」、「いかり」と変遷してきた説。また、

植物の「イカリソウ」から由来したとする説。もう一つは、「井光(いかり、いひか)」

説です。

 

   この井光と丹生の関係は深く、丹後の地名にも使われる「丹」は、すなわち

水銀(鉱脈)の意味を表しています。古代中国では「丹」は不老長生の薬の原料

でした。丹後はその「丹」の採取の地域であったと考えられています。丹生神社

が設置され、丹生に関わる地名が残っていることもその証拠ですね。井光はその

「丹」を採取する集団の一員であったと伝えられています。「丹生ー碇ー井光」は

密接な関係を表すラインでもあり、この碇高原の地名もやはりそこから由来したと

考えられています。

 

   碇高原から伊根町に降りる道沿いに「野村」という集落があり、「朱丹」と

いう地域があります。現在は人がいない廃村になっているといわれていますが、

ここはまさに「丹」の採掘場所であったとされています。

 

   古代中国の思想と実践が丹後半島に散見されることは、古代から文化の

伝播を受けた地域であることを印象づけるものの一つです。

   

 

 

   

299月

丹後の歴史⑫

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。今日はやしきたかじんが中心となっている団体、

「Osakaあかるクラブ」のイベント・チャリティオークションが大阪・なんばパークス

2Fキャニオンコートで行われます。大阪を明るく元気にしたいと、たかじんが中心

となり作ったものです。皆さん、是非足を運んでみて下さい(笑)。

               では、今日もまた丹後の歴史を・・・、

 

              網野町郷(ごう)・郷村断層・・・。

   「奥丹後震災誌」に、「大地震来!そらっという間もない一瞬時、大きな

災害は北丹後一体の地を一舐めにしてしまった。時や昭和2年(1927)3月7日、

春なほ浅く、例年にない大雪に閉ざされて、残ん寒さまだ厳しい丹後路に、その日

も暮れに近い午後6時27分といふに突如として襲ふた大震!大地はユラユラと

振動し、余震は引き続き襲来して、機織る歓楽の町も、牛飼う平和の町も、大自然

の脅威によって一たまりもなく・・・。(後略)」

 

   網野町郷を震源とした地震は、マグニチュード7.3。死者992名負傷者3772名、

被害家屋30780戸に及ぶ凄まじいものでした。激震わずか1~2秒の間に家屋は

倒壊して、瞬く間に各地から火の手が上がり、10数時間燃え続けたといわれてい

ます。

 

   この震災に関する義援金は、国内はもとより朝鮮、台湾等の諸外国からも

集まり、現金だけでも440万円近くに上る巨額なものであったそうです。

その費用の一部を使い、震災受難者の慰霊祭、震災記念物の保存、地震に

関する研究等を目的に、昭和5年(1930)、峰山町室の薬師山に震災記念館

が竣工しました。現在は京丹後市の埋蔵文化財の事務所等に使用されています。

 

   この地震で、網野町浅茂川から大宮町三重の与謝郡境にかけて長さ12キロ

メートルの断層帯ができ、高橋地区。郷地区、生野内地区で地表面に大きな

地盤のずれを起こしました。この3ヵ所を合わせて、当時の村名から「郷村断層帯」

と名付けられました。

 

   断層は上下に60センチ、水平に1.85メートルから2.75メートルのずれを

生じたもので、単なる地割れとは異なり、花崗岩の岩盤に鏡肌や擦痕まで

つくった断層として、地質学上大変珍しく貴重なものであることから、国の

天然記念物に指定されています。

289月

常客様

Author: taizar
2010年9月28日

   本日は小瀧様、ご来店誠に有難うございます。

お久しぶりでございます。お元気になられてよかったです。

また龍谷大学様、いつもお世話になります。そしてカーレーサーの

松田秀士様、今夜はどうも有難うございました。ご実家がお寺の松田さんは

僧侶になるべく龍谷大学へ進学されました。そして21歳の時に得度(僧侶の

資格をとる)されています。ご卒業後は4年間のサラリーマンを経験し、26歳で

上京し義兄になる北野武さん(あの世界のたけしさん)の運転手兼付き人と

なれれたそうです。しかし28歳の時に一度はあきらめていたレーサーの道を

歩き始めたそうです。現在も現役で(55歳です)、年齢を感じさせない若さですよ。

紳士で色々な知識が豊富で、いや~、すごい~(笑)。

下の写真が松田さんです。若い!10歳は若く見えます・・。

 

 

 

 

 

皆様、またのご利用を心よりお待ちしております!

289月

丹後の歴史⑪

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。本当に涼しくなりました。もう上着が必要ですね。

九月もあと少しです。この歳になると毎日が早く過ぎて行くように感じます。

充実した毎日を過ごさないといけない・・・、と思う今日この頃です・・・。

 

   ところで・・・、秋季高校野球京都大会はベスト8が出揃いました。

今週土曜に二試合があります。北稜対福知山成美、塔南対桃山・・・。

龍大平安に初めて勝利した塔南は、監督の奥本さんの母校・桃山との

対戦です。そして日曜には京都成章対京都翔英、京都外大西対北嵯峨の

試合があります。ベスト4の予想としては、福知山成美、塔南、京都翔英、

京都外大西が勝ち上がるだろうと・・・。さて結果や如何に・・。また観戦に

行く所存でございます!

 

               では、今日は丹後の歴史を・・、

                それにしても丹後にはほんとに名所がたくさんあります。

 

   丹後町此代の「丹後松島」。間人から国道178号線を東に向かうと

筆石の海岸に高さが13メートルもある奇岩が海中から立ち上がっている

のが見えてきます。ちょうど屏風のような形状をしていることから「屏風岩」

と呼ばれています。屏風岩から沖に向けて小さな岩が五つほど一直線に

連なり、台地の亀裂の変化を物語たっています。夕日に映える屏風岩は

言葉で言い表せないほど絶景なので、写真を撮る人が後を絶ちません。

 

   此代には、日本海に突き出るような形の「犬ヶ崎」があります。

日本海の荒波によってか、自然に切り落とされた小岩と山が犬の寝ている

姿のように見えたことから、こう呼ばれるようになったといわれています。

 

   また、間人から見ると犬が遠吠えしているようにも見え、そこから犬ヶ崎

の名称がついたいう説もあります。

  

   またインヌはアイヌ語で漁場のことをさしており、それが略されてイヌの

名がついたともいわれています。この岬の周辺は絶好の釣り場であり、大物

が釣れるポイントでもあります。

 

   犬ヶ崎トンネルを抜けると「丹後松島」が見えてきます。此代から東方、

経ヶ岬の方を見る眺めは、島々が連なる素晴らしい景色です。日本三景の

一つ、「松島」にちなんでこう呼ばれるようになりました。入り江を挟むように

大きな岩が陸続きで連なっています。リアス式海岸の奇岩、怪岩が創り出し

たこの景勝地には、海水浴場があり、リゾート地としても人気があります。

 

   犬ヶ崎トンネルの東口には、丹後松島を見るのに絶好の展望所も

あります。丹後松島は京都百選にも選ばれている景勝地です。

 

   小学3年の夏休みだったか、実家のすぐ下(後ヶ浜海水浴場)からこの

犬ヶ崎を眺めていて、どうしても見に行きたくなり、近所の先輩と自転車で

行ったことを思い出しました。間人から竹野を通りこの地に向かっていて(この

間ずっと上り坂です)、途中で挫折しようとしていました。二つ上の先輩との

体力差がありすぎ(小学3年と5年では相当の体力差があります)て、おいて

いかれそうになっていました。そしてようやく到着したものの、実際にその岬を

見ると、遠くで眺めていた景色とは雲泥の差があり(ただの岩のかたまりでした)

がっかりしていたことを覚えています。

   それから帰ろうとして(今度は急な下り坂ばかりです)、自転車を走らすと

大きなカーブばかりで(行きは自転車をおして上がっていたので気がつかなかった)

びっくり・・・。そしてそのカーブを曲がりきれずに草むらに突っ込んでしまいました。

私はハンドルで胸を強く打ち、「骨が折れた~」と泣いていると・・・・、

後ろから来ていた先輩もびっくりして・・・、心配そうなふりをしていました。そして、

私の胸をさすり、「どうもあらへん」と・・。やはり心配するふり・・。それにしても

この時は危なかった。こけたところが少しずれていたら崖から下に落ちていました。

悪運の強い私です(笑)。こけた時に、ハンドルが前輪からみてずれてしまって

いたので、先輩が両腿でタイヤを挟みハンドルを直してくれました。その後は

ゆっくり(臆病になって)と帰りました・・・。

   下の写真は左が筆石の屏風岩、右が此代の丹後松島です。

 

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