259月

面白い話2

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。昨日は来店されたお客様から「中国の船長・釈放」を

どう思うかと度々聞かれました。全員が激怒でしたよ。やはり私だけでは

なかった・・。お客様と政治の話しをしてはいけないというルールがあるのですが、

昨日ばかりは無礼講・・・。このままの政治だったら日本を離れる人が増えると

いう結論に達しました。そしてこの思いをどこにぶつけたらいいのかと激論。

京都から出てる議員さんに直訴しかないかとか・・、ほんとに困ったものです!!

 

          あまりにも腹が立つので面白かったことを

          思い出して、気分を落ち着けます(笑)。

 

   名古屋の日本調理専門学校、1年間お世話になった学校です。

ここの生徒はどうしようもない奴らばかりで(笑)。悪い奴らばかり・・・(笑)。

中京高校、享栄、東邦、名電などの暴走族あがりが多くいました。ちょっと言いすぎ

かな?皆さん、スルーして下さい(笑)。

 

   この真面目な(笑)奴らは私が二つ年上ということで、「先輩、先輩」と

立ててくれてました(笑)。こいつらの車もいかつかった。セリカLB、ローレルSGX、

スカイラインジャパンの改造車(もったいない)、マークⅡのGSS、ケンメリの改造車

など・・・。

 

   ある日のこと、地下鉄鶴舞線の八事駅から中京高卒の奴と乗り込み(この時は

八事が始発駅でした)、そいつと二人で座っていると、いりなか(ここに中京高校が

ありました)から人相の悪い高校生が数人乗ってきました。気の弱い私は(笑)、

その風貌を見て「なんちゅう奴らや」と思っていたらこちらに近づいてくるでは

ないか・・・。けんかでも売ってくんのかなとガン見していたら、私の前に来て(この時は

ドキドキもんです(笑))、皆怖い顔をして(笑)、「ちわっす!」と大きな声で・・・。

私は「誰や、こいつら!」と思っていたら、あらあら勝手な勘違い(笑)。彼らは

私と一緒に座っていた中京OBに向かって・・・でした。そいつは私を指差し「先輩にも

挨拶せぇ!」というものだから(この時私は指差すな~と言いながらニコニコして)

ついでに(笑)、私にも挨拶をしてくれました。ホッと胸を撫で下ろす私(笑)。

 

   そして次の停車駅・御器所から多くの乗客が乗ってきました。私の隣には

先程の中京高校現役バリバリのヤンキー(笑)が座り、世間話をして・・・・。

それから次は荒畑という駅。ここでご老人が乗ってきたので、横に座ってる奴に

「俺が立つからあのおばぁちゃんにここに座るように言うてきたって!」と言うと彼は

「いやいや、俺が立ちますから先輩は座って下さい」と言いながらその方の所へ行き

私の言葉をそのまま伝え、連れてきました。私はすぐに立ち上がり「ここに

座りぃな!」と。そしたら一緒に座っていた全員が立ち上がり、席を譲って・・・。

           この時は車内が異様な雰囲気に(笑)なり、

この車両にいた方々は目が点になっていましたよ。いかついヤンキーの兄ちゃんが

そんな行動をと・・。あっ、私はいたって真面目な出で立ちでした(笑)。ん~なこと

ないか・・・。たぶんあの時には・・・、近くにいた乗客はこのことを色々な人に

しゃべっていることでしょう。

          「人は風貌で判断してはいけません!」

          なんのこっちゃ・・・(笑)。

   下の写真は学校の卒業証書(笑)。我ながらこの証書よく残っていました(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからセリカLB2000GT、やっぱカッコよろしいなぁ!一度オーナーになってみた

かった~(笑)!そういえば京都ホテル時代にバー勤務だったカバ(加幡くん)が

乗ってた。1600STなのに2000GTみたいにして(笑)。あ、彼との思い出も

たくさんあります・・。今度ご披露いたします。またまた大笑いな出来事・・・(笑)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

249月

丹後の歴史⑩

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。昨日は静かな営業でした。なかなか景気が上向きに

なりませんね。それにしても中国の横暴さには・・、一人の日本人として腹がたち

ます。ついに船長釈放・・・。検察は日中関係に考慮とあるけど、いつから外交に

口出ししてるんやろ?それとも政府からの命令?なんてことは思いたくないけど、

ほんとに残念・・・。

 

          それでは今日も丹後の歴史をば・・・、

 

   網野町小浜にある「離湖」。ここは地元で「小浜のかつみ」と言われています。

周囲3.8キロ、水深7メートルで京都府下最大の淡水湖であろうと・・・。

 

   中央には湖水に浮かぶように離山と呼ばれる山があり、昔は島でしたが、

今は陸続きになっています。古墳時代にはせっ港として、日本海沿岸や大陸との

交流の窓口になっていたとみられ、離山には丹後の首長クラスのものと思われる

「離湖古墳」と「離山古墳」の二つの古墳があります。離湖古墳の墳形は、後世の

土地改変のため不明ではありますが、長持型石棺の底石が離山の山頂に展示

されていますが、古墳時代中期の築造と思われています。一方、離山古墳は

直径15メートルの円墳で古墳時代後期の築造と言われ、いずれも金環、玉類、

鉄器など多数の副装品が出土しています。

 

   この離山には、かつて湖秀山龍献寺(現網野町木津)があったと言われ

当時、龍献寺は丹後に末寺38ヶ寺、孫末寺13ヶ寺を有する丹後第一の大寺

と言われていました。寛永8年(1631)、領主京極高広が離山の景色をこよなく

愛し、ここに一覧亭を建て風月を楽しんだと言われています。ところが、高広の子

高国は、離湖で魚を獲っては酒盛りをするので、寺の僧侶がたまりかねて注意

したところ、高国が激怒し僧侶を捕らえようとしたので、命からがら木津の岡田へ

逃げたといいます。そこで高国は龍献寺の伽藍をことごとく焼き壊してしまったと

いう話も残っています。

 

   また、天正17年(1589)、網野村湖口小左衛門と島溝川の足立久兵衛が

島津村の新田開発のため湖水を日本海へ流す水路工事に着工しましたが、

トンネルを掘る難工事の末、三年の歳月をかけてようやく完成しました。

その後、延宝6年(1678)、享保12年(1727)、明治12年(1887)と再三に

わたって改修されています。この工事は、箱根用水の工事にも匹敵する大工事

でk、土地の人は、この水路のことをマブ(坑道の意味)と呼んでいます。

 

   今日は、この文章を書いていると、高校時代にバイク通学していたのを

思い出しました。網野高校から少し距離のある(徒歩では)この離湖に通学で

使った愛車「ハスラー」をよく隠していました。ところがここに隠してあるバイク

を見つけられて呼び出しをくらったことが何回も・・・。あっ、話しが長くなると

また突っ込みが入りますので、今日はこの辺で・・・。またこのバイク通学の

お話しは後日ということで・・・(笑)。下の写真が離湖です。

239月

丹後の歴史⑨

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。今日はほんとに涼しいですね。まじ、びっくりです。

昨日までは家にいても汗ばんでいたのですが、今日は私には寒いくらい(笑)。

これから寒くなっていくと思うと・・・、心が沈んでしまいます(笑)。

          では今日も丹後のお話しを・・・、

          今日は峰山高校の英雄・幸市(間人中学の同級生・清水幸市くん)

          の縄張りだった場所を・・・(笑)。

 

   峰山にある「金刀比羅神社」、創建時は神仏混佑 の「金毘羅権現社」と

称していましたが、明治に神仏が分離されて、社号を金刀比羅神社に改められ

ました。旧峰山藩主京極家をはじめ、周辺の人々から広く信仰を集めており、

祭神は大物主命です。今も「峰山のこんぴらさん」と呼ばれ、海上安全、商売繁盛

厄除けの神様として信仰されています。

 

   峰山は江戸時代のほぼ240年間、京極家12代が納めた一万石の城下町で

した。金刀比羅神社は、文化8年(1811)、峰山藩主の頼みによって、四国の

讃岐の琴平町にある金毘羅権現の分霊をお迎えしたものだそうです。

 

   琴平は丸亀6万1200石京極佐渡守の領地で、金毘羅のお山の

象頭山(ぞうずさん)は、分家の多度津1万石京極壱岐守の領分でした。

峰山藩主6代高久は、その多度津藩主京極織部高庭の次男として生まれ、

峰山の養子となったもので、日ごろから信仰していた郷里の金毘羅権現を

お迎えしようと考えていましたが、その実現を見ないで、文化5年(1808)5月に

世を去ってしまいました。家を継いだ7代高備(たかまさ)は、父高久の意思を受け、

父の死後3年目に希望を成し遂げたと言われています。

 

   従来、讃岐の金毘羅権現は日本一社の掟で、分宮を行った先例はなかった

のですが、こうした事情によって、特別に分宮を認めたようです。

 

   境内にある木島神社は、養蚕の神で、ちりめん織りの業者が藩の許可を

得て、文政13年(1830)2月29日、山城国葛野郡木島養蚕神社からお迎え

したもので、神社の前に狛犬のように猫の石像(狛猫?)があります。

蚕を食い散らすネズミ退治を期待したものなのでしょうが、大変珍しいものです。

 

   昭和2年(1927)の丹後大震災で、本殿を含むすべての社殿が倒壊して

現在の社殿は再建したものです。美しい朱塗りの社殿に金毘羅池を配して、

市民の憩いの場となっています。

 

   こんなに素晴らしい歴史ある場所で私たちはたわけたことをしていました。

何をしていたかって?すみません、これは書けません・・・。言えますけど・・、

書けません。どうか来店の時にお尋ね下さい(笑)。幸市が怒って来そうです(笑)。

下の写真がこんぴらさん(通称)です。

229月

丹後の歴史⑧

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。今日も暑いですね。でも明日から数日間はぐんと

気温が下がるようですよ。体調にはお気をつけください。今日は藪内さん

ファミリーにお越しいただきました。娘さんが大学時代から(当時麻紀ちゃんは

当店の前のマンションに住んでいて)ですがら、もう5,6年ご愛顧いただいて

おります。「藪内さん、どうも有難うございます。今後ともよろしくお願い申し

上げます!!」

        では、今日は丹後の歴史について・・・、

         いや、有名な鳴き砂のある「琴引浜」を・・・、

 

   網野町掛津の「琴引浜」は日本一の鳴き砂と言われています。全長

1800メートルの琴引浜の砂は、足を擦るように歩くと「キュッ、キュッ」という

音がすることから、鳴き砂(地元では鳴り砂ともいい、外国ではミュージカル

サウンドという)と呼ばれています。

 

   鳴き砂は石英の砂の粒同士がこすれあい、振動しあって音が出るので

砂がきれいであることが必須の条件です。もし、砂が汚れると鳴らなくなるので

昭和62年に地域住民により「琴引浜の鳴り砂を守る会が設立され、全国初の

「禁煙ビーチ」宣言をして浜を訪れる人たちにも呼びかけるなど、様々な鳴き砂の

保護活動に取り組んでいます。

 

   かつては、日本列島の至るところに真っ白な砂浜がり、多くの鳴き砂の浜が

ありましたが、今では限られた浜しか鳴かなくなってしまいました。全国で約40ヵ所

が確認されていますが、この琴引浜と宮城県の十八鳴浜、島根県の琴ヶ浜の

3ヶ所が有名で、中でも琴引浜がは最もすぐれた鳴き砂の浜といわれ国の

「天然記念物及び名勝」に指定され、21世紀に引き継ぎたい日本の白砂青松

百選」、「残したい日本の音風景百選」、日本の渚百選」にも選ばれています。

 

   かつて、琴引浜を訪れた安土・桃山時代の丹後の領主、細川藤孝や

大正、昭和の歌人・与謝野寛、晶子夫妻歌碑が松林の中に立っています。

 

   この鳴き砂保存も含め網野の八丁浜などを守る会には同級生の

守山倫明くん(守源旅館館主)が中心となって頑張っていますよ。多くの

ボランティアにも参加しています。下の写真が琴引浜です。

   皆さん、こんにちは。昨日は多数のお客様にお越しいただき感謝して

おります。久しぶりに「汗ばむわ~(山田花子風に)」と独り言を言ってました(笑)。

          それでは今日も京都ホテル時代のお話を・・・、

       先日、京都ホテルOBの方々から、このブログを読んで

       当時の良き時代を思い出し懐かしいという声をお聞き

       しました。またこの頃を思い出しブログを書くことに

       力が入ります・・。えっ、もういいって?そんなこと

       おっしゃらずに読んでやって下さい(笑)。

 

 

   中山あやきさん、私が直属の部下となったのは中山さんがレストラン部長、

私がラメール、ときわ勤務となった時です。中山さんも私の意見はよく取り入れて

くれました。色々とお世話いただきました。

 

   こちらで勤務して初めての祇園祭り・・。当時のラメールは河原町御池の角・9階

にあり、山鉾巡行を見学するには最高のロケーション。10時45分くらいにここ河原町

御池を長刀鉾が通ります。この日は毎年予約で満席となるのですが、これまでより

料金を上げてコース料理を提供しようと中山部長と井上シェフに提案した私。

お二人ともに最初は難色を示していましたが、私には勝算があると(それまでから

顧客にいろいろと質問をぶつけていました)言い、二人はしぶしぶ(笑)賛成して

くれました。

 

   そしてある日のこと、中山部長から事務所に来いとの呼び出しが・・。なんでも

営業会議で、ある役員から反対の意見が出て(集客できるのかと)たのだとか。

中山さんは私に「今どのくらい予約があんにゃ?」と聞いてきて、私は「半分くらいですが

必ず満席にしてみせます。」と。

 

   それから数日後にその役員の方が私の所へブツブツ言いに来ました。

予約状況を見にきたのですが、満席に近い状態だったのでそのままお帰りに

なりました。そして祇園祭りの数日前にその役員の方から「東京の上客様なん

だが、テーブルを一つとってくれ!」というリクエストが・・。この料金プランに

反対されて名指しで注意されたことを根に持っていた(笑)私は「すみません、

もう満席でとれません。」と抵抗をすると(本当はそういった方々の為に3つくらい

のテーブルは空けておいていた)、その方は「そうか、分かった。」と

 

   すると数分後に中山部長から「やす(私のこと)、~から席がとれないと

言ってきてんで。なんとかならんのか?」と電話で・・。私は「席、ありますよ!」と

答えると、「そうやろ、お前のことやからそういう返事をしたと思ってたわ。わしでも

同じことをしたと思うで!」と中山部長。私は「席がとれたのは部長の手柄にして

おいて下さい!」と。

 

   それから翌日にその役員さんがわざわざ9階まで上がってきて「安田くん、

席とってくれたんだ。無理言ったな、ありがとう!」と。私はこういう筋が通った

ことをされると弱いので、「いえいえ、またお願いします!」と丁重にお答えしました。

 

   それまではこの役員の方は天敵でしたが、以降は可愛がってくれました(笑)!

下の写真、前列左が中山さんです。現在は年金と株で儲けて悠々自適に過ごして

いらっしゃいます。

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