30June7月

野球の話・シーン1

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。野球の話ばかり書いていたら、突然ですが・・・、

ホテル学校(国際観光専門学校名古屋校)でのことを思い出しました。

 

   私達は一期生ということもあり、何でも自由に出来た幸せ者でしたよ。

この学校の事務長(遠藤さん)と仲が良かった私は(入学前に亡くなった親父と

一緒に下宿探しに名古屋へ行った時に応対してくれたのがこの方で、その日も

下宿先へ同行してくれたりとお世話になって)、入学後に事務所で世間話を

していると、野球の話になり「野球部」を作ろうかと・・・。ちょうどその時、入学間なし

に友達になっていたのが東邦高校で2年まで野球部にいた元山くん・・、彼と相談

してひょっとしたら高校時代に野球をしていた者が他にもいるかも知れないので

捜そうということになりました。それを遠藤さんに伝えると、「じゃあ私が監督兼スポン

サーになってやろう!」と言われました。私と元山くんは同期生にいろいろな方面から

あたり、全部で14人程集めました。その中には大府高校などの愛知県では

有名校の野球部OBやら宮城県の高校(名前を忘れました)OBで県大会ベスト8

だった者など、なかなかのメンバーが揃いました。私は運よく?ピッチャーを仰せつか

 りました。今覚えているのはピッチャーが私、キャッチャーは元山くん、ファーストは

三河の山本くん、サードが大府の?くん、ショートは県岐商の?くん、レフトが北島くん

(高校は?)、センターが仙台の?くん、など、すみません・・・、名前が出てきません。

 

   チーム結成後は鶴舞公園にある鶴舞球場を練習場(ここは両翼70メートル

くらいだったと記憶、少年野球の公式戦の場所だったような)、また練習試合場にして

いました。確か週一かニくらい練習していたと記憶しています。気の早い遠藤さん

は結成して間無しで「名古屋の社会人野球(軟式)に加盟したぞ」と言われ、

それはDリーグだったかEリーグだったか(レベルによって分かれていたようです)、

Aリーグが1番強いリーグでしたよ。加盟したリーグは名古屋の各ホテルの野球部

が所属していました。

   

   そして初めての試合が名古屋観光ホテル(今は名前が変わってます)でした。

私はその日調子がよく1回は三者凡退に抑えてました。しかし2回、4番にレフトオー

バーのホームランを打たれました。両翼が短いので普通ならレフトフライ(自分でそう

納得しているだけですが)だっただろうと・・。それ1本に抑えてました。味方が

連打で逆転してくれて余裕もできたのか、球もよく走り、完璧に抑えてました。

 

   そして4回のツーアウトから先程の4番との対戦。ここで私はキャッチャーの

元山くんを呼び、デッドボールをあてると言ったのですが・・・。元山くんは大きな目を

して、「おみゃー、ほんまか?」と言いホームへ・・。私はほんとにあたるコントロール

を持ち合わせてない自信(笑)があったので軽い気持ちで言ったのですが、なんと・・・、

初球が頭にあたり崩れ落ちる4番打者・・・。私はびっくりして(笑)、帽子を取り

バッターのもとへ・・。幸いにもたいしたことはなく頭を冷やして試合続行。私は

元山くんとマウンド付近で「おぇ、ほんまにあたると思わへなんだ。びっくりした。」

と話していると内野が集まり、山本くんが「おみゃー、狙っただろ!」と笑いながら

・・・。私は恍けて「狙っとらへん・・・」と言うと、元山くんが「ほんまにこいつには

困ったもんだ。狙う言うてほんまにあてとるがや!」と。ベンチを見ると遠藤さんも

ニヤニヤと。こんなあんばいでこの試合のことはよく覚えています。勿論試合は

大差で勝ちましたよ。さすがに東邦で野球をしていた元山くんの打球が凄かった。

一打席目に目の覚めるようなセンターオーバーのヒット(ワンバウンドでオーバー

フェンス)を見てからは敬遠に近いフォアボールばかりでしたよ。私はこの頃も

アホなことばかりして遊んでいる小僧でした(笑)!

 

   下の写真、運転席にいるのが元山くん。彼の車でニッサンバイオレット。彼は

後ろにソレックスというステッカーを貼っていました。実際はキャブレターもなぶって

いないのですが、マフラーに穴を開けてそれらしい音を出していました(笑)。
 

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