29June9月

丹後の歴史⑫

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。今日はやしきたかじんが中心となっている団体、

「Osakaあかるクラブ」のイベント・チャリティオークションが大阪・なんばパークス

2Fキャニオンコートで行われます。大阪を明るく元気にしたいと、たかじんが中心

となり作ったものです。皆さん、是非足を運んでみて下さい(笑)。

               では、今日もまた丹後の歴史を・・・、

 

              網野町郷(ごう)・郷村断層・・・。

   「奥丹後震災誌」に、「大地震来!そらっという間もない一瞬時、大きな

災害は北丹後一体の地を一舐めにしてしまった。時や昭和2年(1927)3月7日、

春なほ浅く、例年にない大雪に閉ざされて、残ん寒さまだ厳しい丹後路に、その日

も暮れに近い午後6時27分といふに突如として襲ふた大震!大地はユラユラと

振動し、余震は引き続き襲来して、機織る歓楽の町も、牛飼う平和の町も、大自然

の脅威によって一たまりもなく・・・。(後略)」

 

   網野町郷を震源とした地震は、マグニチュード7.3。死者992名負傷者3772名、

被害家屋30780戸に及ぶ凄まじいものでした。激震わずか1~2秒の間に家屋は

倒壊して、瞬く間に各地から火の手が上がり、10数時間燃え続けたといわれてい

ます。

 

   この震災に関する義援金は、国内はもとより朝鮮、台湾等の諸外国からも

集まり、現金だけでも440万円近くに上る巨額なものであったそうです。

その費用の一部を使い、震災受難者の慰霊祭、震災記念物の保存、地震に

関する研究等を目的に、昭和5年(1930)、峰山町室の薬師山に震災記念館

が竣工しました。現在は京丹後市の埋蔵文化財の事務所等に使用されています。

 

   この地震で、網野町浅茂川から大宮町三重の与謝郡境にかけて長さ12キロ

メートルの断層帯ができ、高橋地区。郷地区、生野内地区で地表面に大きな

地盤のずれを起こしました。この3ヵ所を合わせて、当時の村名から「郷村断層帯」

と名付けられました。

 

   断層は上下に60センチ、水平に1.85メートルから2.75メートルのずれを

生じたもので、単なる地割れとは異なり、花崗岩の岩盤に鏡肌や擦痕まで

つくった断層として、地質学上大変珍しく貴重なものであることから、国の

天然記念物に指定されています。

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