30June9月

丹後の歴史⑬

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。プロ野球セ・リーグが最後の戦いを・・・。中日が一歩

リードしていますが、阪神の追い上げがどこまで続くか・・・。巨人は昨日の負けで

優勝の望みが絶たれました。

               では、今日も丹後の歴史について・・・、

              今回は丹後の山奥・・、碇高原・・・。

 

             丹後町碇(いかり)にある碇高原。

   かつては碇千軒といわれ、狩をする人を中心に多くの家があったと伝えられて

います。昭和38年(1964)の豪雪と高度経済成長政策の波を受け集団離村に

なりました。現在は、400メートルの高原に88haの大牧場が開け、農場研究所、

牛の資料館、小動物とのふれあい牧場やステーキハウス、テニスコート、キャンプ場、

コテージ村、展望台、野外ステージ、遊歩道などが盛りたくさんに整備され、牧歌的

な風景とふれあいスポットとして注目を集めています。

 

   「碇」の地名にはいくつかの説があります。過去に猪狩りが行われ、その

名残りから、「いのしいかり」、「いのかり」、「いかり」と変遷してきた説。また、

植物の「イカリソウ」から由来したとする説。もう一つは、「井光(いかり、いひか)」

説です。

 

   この井光と丹生の関係は深く、丹後の地名にも使われる「丹」は、すなわち

水銀(鉱脈)の意味を表しています。古代中国では「丹」は不老長生の薬の原料

でした。丹後はその「丹」の採取の地域であったと考えられています。丹生神社

が設置され、丹生に関わる地名が残っていることもその証拠ですね。井光はその

「丹」を採取する集団の一員であったと伝えられています。「丹生ー碇ー井光」は

密接な関係を表すラインでもあり、この碇高原の地名もやはりそこから由来したと

考えられています。

 

   碇高原から伊根町に降りる道沿いに「野村」という集落があり、「朱丹」と

いう地域があります。現在は人がいない廃村になっているといわれていますが、

ここはまさに「丹」の採掘場所であったとされています。

 

   古代中国の思想と実践が丹後半島に散見されることは、古代から文化の

伝播を受けた地域であることを印象づけるものの一つです。

   

 

 

   

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