23June2月

丹後の偉大な先人4・①(松本重太郎)

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。丹後の偉大な先人・・、以前私が勤務していたところ・・・、

この会社の創始者が峰山の方でした。(株)ルシアン・・、この社名の前は野村

株式会社といい、この会社を創った「野村直三さん」が峰山の出世頭?でしょうか・・?

また長くなると大きな目をして怒られるので野村さんのお話しは後日ということで・・・。

 

          ではでは間人の超偉大な先輩のお話です・・。

                 松本重太郎さん・・・、

 

             この方は丹後一の功績を残された方です・・・。

 

   天保15年に間人でお生まれになった松本重太郎。幼名は松岡亀蔵・・・。

松岡亀右衛門の次男として生まれました。生家は江戸時代から代々庄屋を勤め

苗字帯刀を許された家柄でした。やはりそれなりの家柄で育ったのでしょうね。

これが農民、漁師の息子だったらもっと拍手喝采なのですが・・・(笑)。

 

   彼は10歳の時、京都の呉服商菱屋勘七に丁稚奉公にあがります。そして3年後

には「商売を覚えるなら大坂で」と大坂は天満の呉服商錦屋利八方に移り、ここで

10数年間勤めました。錦屋は大坂の有力呉服問屋の1つで、ここで商人として活躍

していく素地を造り上げることが出来たのでしょうね。それにしてもこの時代・・・、

京都まで歩いて行ったんやろか・・?川は流れが反対だし・・、舟では行けない・・。

 

        まぁ、ええか・・・。余計なことは考えんとこ(笑)。

 

   明治元年(1868年)、24歳頃独立し、松本重太郎と名前を改めます。ちょうど

兵庫と大坂の開港が行われた年でした。さっそく重太郎は洋反物のブローカーを

始めます。大坂にはすでに数名の洋反物を取り扱って急速にのし上がった商人が

いました。重太郎は最初は行商だったのですが、1870年頃には東区平野町に

「丹重」を屋号とする店舗を構えました。そういえば、間人の衣服を取り扱う商人も

戦後はバイクに商品を乗せて行商をしていたようです。

         こないだ喜代子さん(お袋)に聞いたことがあって・・・、

 

               おっと、またまた脱線・・・(笑)。

                   本題に戻して・・、

 

   重太郎が大躍進したのは西南戦争の時でこの時軍用羅紗の買占めを行い、

巨利を得ました。

下の写真が松本重太郎氏です。

 

 

 

 

 

 

                           続きは明日へ・・・・・、

                    

                                                 と・・・・・・、

 

                 油断させておいて・・・(笑)・・、

 

                     あの~・・・・、

 

              すみません、また長くなります・・(笑)。

               一応、断っとこ~・・・、(笑)・・・。

   

   昨日は間人中学の同級生で吉岡くんが来てくれました。東京への出張があり

その合間に寄ってくれました。彼は京丹後市役所に勤務しているのですが、丹後の

情報を度々送ってくれているのが吉岡くんです。

   彼も中学時代は間人中学で野球をやっており、強肩強打の外野手として活躍

していました。32年ぶりに出場した去年の丹後町盆野球大会・・。当然のことながら

彼も試合に出ていたのですが、見事なホームランをかっ飛ばしました。役所に就職

してから間人クラブ(軟式野球の強豪ですよ)に入り、経験を積んだだけのことは

ありますね!!

 

   また彼の息子は元高校球児(網野高校)、一昨年の京都大会で上位進出の原動

力となっていましたよ。中学卒業以来出会ったのがこの大会での網野高校応援席・・・。

なんとなく縁を感じますね。

下の写真が吉岡茂昭くんです。

 

 

   

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