24June2月

丹後の偉大な先人4・②(松本重太郎)

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。昨日は飲み過ぎました(笑)。学習能力のない私は加減と

いうものが分からないらしく・・(笑)、相変わらず・・・です。

 

       ではでは昨日の続きで松本重太郎さんの偉大な軌跡を・・。

 

 

      こうして洋反物商としての一定の地位を築いた松本重太郎・・。

   重太郎は1878年、東区高麗橋に資本金25円で第百三十銀行を設立します。

旧徳島藩士の小室信夫と組んで、宮津や福知山の藩士を説き、金禄公債を資本金

として出資させるのに成功させます。初代頭取には小室の父佐喜蔵が、取締役には

渋谷庄三郎(大阪の綿花商)、稲田佐七郎(大阪の洋反物商)、松本誠直(宮津の

株主)が就任し、重太郎は取締役兼支配人となりました。

 

   そして1880年には重太郎は頭取に就任します。こうして発展した銀行は

1896年には預金額は252万円、貸出額は278万円に達し、預金額248万円、

貸出額311万円の住友銀行と肩を並べ、在阪銀行のトップの座を占めました。

 

   1898年、国立銀行の満期解散にともない、同行は普通銀行に転換し、百三十

銀行となりました。そして百三十六銀行、大阪興業銀行、小西銀行、西陣銀行、

福知山銀行、八十七銀行を合併し、1902年末には資本金325万円、大阪・京都・

滋賀・福井・福岡に15店舗を持つ大銀行となりました。1898年、重太郎は大阪

銀行集会所委員長となり、押しも押されもせぬ大阪を代表する銀行家となります。

しかしこの頃から重太郎の百三十銀行はおかしくなりました。それは後日ご紹介

する事業(重太郎は様々な事業に手を拡げて)に深く関係するものでした。百三十

銀行はその後安田財閥(私の家系では決してありません・・。わかってるって?

はい、すみません)により救済され重太郎の死後安田銀行に合併吸収される

こととなります。

 

   松本重太郎・・、恐るべき・・・実業家・・・。実はこの先輩のドラマがあったの

です。何年前だったかNHKで「気張る男」というドラマ(城山三郎さん原作)がありま

した。この時の撮影には間人の商工会も協力したようですよ。立岩から後ヶ浜

海岸で撮影されていました。あ、それからこのドラマでは間人の老舗旅館「よ志のや」

の福山社長他有志が、協力していたそうですよ!!

 

   そういえば私が小学生の頃は中庭に重太郎さんの銅像が建っていました。

胸から上の銅像でしたが、私たちアホはこの銅像の目にガムをくっつけて・・・。

まったくバチあたりなものです。友人から「おみゃ、そぎゃーなこと(そんなこと)

しとったらバチがあたるど!」と注意されて・・・。そうなんです・・、おかげさんで

何度もバチがあたりました・・・(ガクッ)。

       「この場を借りまして・・、謹んでお詫び申し上げます・・・。」

 

   下の写真は現在の松本重太郎氏の石像です。8、9年前に建替えのあった間人

小学校・・・、正面にこの石像が新しく建てられました。私と一緒に写っているのは、

現参議院議員の二之湯先生です。先生は京都選出の議員さんですが、京都全般、

特に地方の活性化に心血を注ぎご活躍中です。丹後へもよくお越しになり、地元の

方々と様々な問題点について議論されているようで、京丹後市民にとっては頼もしい

「国会議員」ですね。ブログにて失礼かと思いましたが、「二ノ湯先生、いつもお世話に

なり有難うございます。今後ともどうかよろしくお願い申し上げます!」

今後のイベント

  • イベントがありません。