25June2月

丹後の偉大な先人4・③(松本重太郎)

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。アフリカ、中近東の状況が悪くなっていますね。このまま

では油の金額が上昇しそうで・・・。それにしてもこれらの国々が安定する為には

かなりの時間がかかりそう・・・。

 

        ではでは今日も昨日の続きで・・、松本重太郎さんのお話を・・。

 

 

   松本重太郎は銀行の成功から紡績、鉄道などへと事業に参画しました。

               で、今日は紡績のお話を・・・。

 

   重太郎の洋反物商と深い事業として、1882年に設立された大阪紡績があります。

当時は東の渋沢栄一、西の松本重太郎と言われた時代・・。この紡績会社計画は、

東京が渋沢栄一、益田孝、大倉喜八郎の東京資本と華族資本によるもの、そして

西(大阪など)が松本重太郎、藤田伝三郎らによるものが合体してできたものでした。

 

   95人の株主のうち56人が大阪商人で、払込資本更正でも大阪商人の出費比率

が31%を占め、松本、藤田の斡旋で大阪に立地が決まり、創立後は藤田伝三郎が

初代頭取に決まり、松本は取締役に、また小室信夫の経営する問屋の番頭・蒲田

清蔵が商務支配人に就任するなど、大阪側の役割が大きくなりました。

 

   その後も大阪商人の持株比率が高くなり、重太郎は1887年に頭取となり

1898年までその職にありました。

 

   1884年には、もと政府の紡績機械貸し下げによって成立した渋沢紡績所の

経営が不振となり、これを渋谷庄三郎から買い取り、これを堂島紡績所とします。

1895年には紡績、織布兼業の日本紡績を設立して社長となり、翌年堂島紡績所

を吸収合併しました。さらに1896年には輸入織物のうち最も需要の多かったモスリン

の国産自給を企て、稲畑勝太郎はじめ大阪の舶来物品商とともに

創設、社長となります。そのほか、京都製糸、内外綿、大阪毛糸などの設立にも

関係して、設立後は重役となりました。

 

   う~ん、やっぱりすごい・・・。先を見る目と行動力・・・、参った・・・(笑)。

 

     では明日は鉄道の事業についてご披露したいと思います・・。

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