26June2月

丹後の偉大な先人4・⑤(松本重太郎)

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。今日は同窓生・東武彦くん(全日空)と平豊子さんの結婚報

告会が当店で催されます。高校卒業以来、かねさん(親父)の葬式で出会った二人・・。

そして一年半の遠距離恋愛の末(間人と京都市内)、昨年暮れに入籍しました。

   それで有志がお祝いの会をしようということになり、今夜開催されます。24名が

集まる予定です。叉詳細は明日ということで・・・。

 

            ではでは今日も松本重太郎氏のお話です。

 

                     で、続きで鉄道の・・・。

 

 

 

   鉄道は重太郎のもうひとつの柱となる事業分野だったようです。1884年、重太郎

は藤田伝三郎、田中市兵衛らとともに、事実上日本で初めての私鉄として阪堺鉄道を

設立しました。同鉄道の経営は順調で、高収益をあげた為、さらに重太郎は堺から

和歌山まで鉄道敷設を計画し1895年南海鉄道を設立、その社長となります。南海

鉄道は1898年に阪堺鉄道を吸収合併し、これで難波から和歌山をつなぐ鉄道が

完成することとなります。

 

   また1886年、重太郎らが発起人となって成立した山陽鉄道は1892年までに

神戸、三宮間の敷設を完了しましたが、1890年の大不況のあおりを受け不振と

なり、工事がストップしたまま、社長の中上川彦次郎が辞任してしまいます。

そして1892年に社長となった重太郎は借入金と社債発行で資金調達の道をつけ

三原、広島間の敷設を1894年までに完成させ、日清戦争期の軍需輸送に貢献

しました。

 

   いや~、それにしても短期間で仕事をやり過ぎてますね。重太郎さんも「止まると

死ぬねん!」と言ってはったんやろか・・・?ん~なアホな・・・。脱線・・・(笑)・・。

 

   その後重太郎は1898年以降、山陽鉄道の路線を大胆に延ばして行きます。

三田尻から下関まで軌道を延ばし、関門連絡船を介して九州鉄道との連絡を実現

します。そのほか浪速鉄道、阪鶴鉄道、七尾鉄道、豊州鉄道(後の九州鉄道)、讃岐

鉄道などにも関係し、西日本の鉄道網形成に大きく寄与しました。

   これだけ鉄道の拘ったのはやはり生まれ育った丹後の交通網・・・、不便だった

ことが起因しているのでしょうか?

 

   それから太湖汽船、内国海運、大阪運河会社など海運関係にも関係を持ち、

また日本精糖、大阪アルカリ、大阪麦酒(アサヒビールの前身)、日本火災保険、

日本教育生命保険、明治炭坑など多くの会社の設立ないし経営に参画しました。

 

   後日、重太郎さんの失敗について書きたいのですが、重太郎さんの場合、

この失敗の原因は・・・?おごりか・・?はてまた・・・?

 

 

   

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