28June2月

丹後の偉大な先人4・⑥(松本重太郎)

Author: taizar

   皆さん、こんにちは。政治はバタバタですが、スポーツは全開・・・。ラグビーも

いい試合(三洋とサントリーの決勝戦)をしていました。大方の予想を裏切り、

サントリーの優勝・・。それにしても男のスポーツ・・・。人と人のぶつかり合う骨の

音が聞こえてきそうなほど激しい試合でした・・。

 

              ではでは一昨日の続きです。

 

              重太郎さんの誤算とは・・・・、

 

   1901年から1902年の世界大恐慌が一番に起因しています。この年に重太郎

関係のうちいくつかは深刻な営業不振に陥り、百三十銀行の経営に悪影響を与える

こととなりました。その中で特に深刻だったのは、日本紡績で、同社は製品品質が

劣っていたことや、大きなウエイトを占めた中国市場での販売不振から営業不振と

なり、これを百三十銀行からの融資でまかなっていました。1904年に百三十銀行

が破綻する時には同行から日本紡績への融資は170万円余りにのぼり、そのほと

んどが不良債権化していました。また百三十銀行は頭取松本重太郎自身あるいは

洋反物商松本商店へも約160万円余りという巨額の融資を行っていました。

 

   恐慌で洋反物商も大きな打撃を受けましたが、松本商店も例外ではなかった

のでしょうね。重太郎関係企業への融資で、重太郎が債務保証をしていたものも

少なくなかったようで、やはり百三十銀行破綻当時に、重太郎への融資124万円

余が焦げ付くにいたります。これらは百三十銀行本店で生じた不良債権でしたが、

京都、福井、門司などでも多額の融資焦げ付きが生じるようになり、1904年に

休業に追い込まれ、その再建は政府の特別融資を受けた安田財閥(私とは関係

ありません・・。しつこいって?はい、すみません。)の安田善次郎の手に委ねられ

ました。こうして重太郎は私財を売り、百三十銀行に101万円余を弁済した上で

同行頭取のみならず関係していた会社から一切退きました。

 

   重太郎さんの体が20個ほどあれば倒産するまでにはならなかったと思います。

やはり仕事の量が多すぎますね・・・。

 

  

 

 

   

 

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